サキソフォーンVol.1
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年01月号掲載/1998年12月10日発売 )

  私がこの楽器と最初に出会ったのは、山門高校入学と同時に入部したブラスバンド部でした。ブラスバンド部にあった吹き手のないテナーサキソフォーン。それがこの楽器との最初の出会いでした。今回はサキソフォーンについて書きたいと思います。

 まず、サキソフォーンが他の楽器と決定的に違うのは、この楽器が”発明された”という点です。楽器の殆どがその原型となるものがあり、改良されて今に至っているのに対し、サキソフォーンはある時、発明されたものなのです。

 サキソフォーンの発明者、アドルフサックスは、1814年11月6日にベルギーのディナンという町の管楽器製造家シャルル・ジョゼフ・サックスの長男として生まれました。子供の頃のサックスはブリュッセルの音楽院でフルートやクラリネットを学び、優れた才能を示したそうです。同時に楽器の製造の面でも頭角をあらわし、20代でヨーロッパ全体に知られるようになりました。彼がサキソフォーンという楽器を発明した理由は、吹奏楽(一般的に言われるブラスバンド)の中で、クラリネット、フルートなどの木管楽器群とトロンボーン、トランペットなどの金管楽器群が溶け合わないという欠点を補うためだったといわれています。発明された楽器は、彼のSAX(サックス)の後ろにPHONE(フォーン)をつけてSAXPHONE(サキソフォーン)と名付けられました。

  1845年には、正式にフランスの陸軍軍楽隊で2本のサキソフォーンを入れた編成が採択されています。そして翌年1846年にパリで特許を取得し、1860年にはソプラノサキソフォーンからコントラバスサキソフォーンまでを完成させています。作曲家ベルリオーズは特にこの楽器が気に入っていたようで、自作の演奏会で「6つの楽器のための聖歌」が演奏されました。これが公式な音楽会でのサキソフォーンの最初の登場となります。

 その時の演奏者の中には、アドルフサックス自身がいたそうです。アドルフサックスは、軍楽隊の音楽学校にサキソフォーンのクラスが開設されてから13年間、その指導をしていたそうです。そして1920年代になるとサキソフォーンに新しいムーブメントがおきます。その続きは次回御紹介します。この楽器が素晴らしいのは、なんといっても表現力が大きいことです。その音色の柔軟性から、ジャズは勿論のこと、クラシック、ポップス、ロック、ボサノヴァ、ラテン、演歌など、ふだん私たちが耳にしている様々なジャンルで、サキソフォーンは幅広く使われているのです。

 現在市販されているもので、ソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バス、コントラバスの7種類があります。また、サキソフォーンは、本体が金属でできているのもかかわらず木管楽器に属しています。それは、リードとよばれる直接的に音になる部分がケーンという葦の一種から作られていることからきています。

(以下、都合によりインターネット上の掲載は控えます。)

パラダイム
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年02月号掲載/1999年01月10日発売 )

  明けましておめでとうございます。

このページに目を止めていただいてありがとうございます。
昨年のエッセイ、8月キーマン、9月キーワード、10、11月チョイス、12月食と心の関係、1月サキソフォーンVol1、様々な方から色々な御意見をいただきました。。

 自分の考えている事がこれだけ多くの方々に読まれる機会というのは、そう簡単には巡り合わないことだと思います。それだけに、素晴らしいチャンスにめぐまれたと大変感謝しております。

 お聞きした意見を御紹介しますと、とても難しくて重たい、とても参考になりました、言い回しが解りにくい、興味深く真っ先に読んでいます、どうして音楽の事を書かないの?、お会いしたら全然違うけど、すごく固い人かと思っていましたなどなど沢山の意見でした。

 又、ライブ情報を見て来られるお客様がいらっしゃるのも本当にうれしく思います。その時は「ピープル読みました」と声をかけて下さい。演奏を聴いて頂くのと同様、エッセイを読んで頂くのも凄くうれしいという事がわかりました。今年もいろんなジャンルを思ったまま書いていこうと思います。

 今月号のテーマはパラダイムです。スイスはその昔世界に名を轟かせた時計つくりの王国でした。当時、世界のシェアの80%を誇っており、その技術もさることながら販売に関しても揺るぎ無い地位を築いていたのだそうです。ところがその時計業界に異変がおきます。水晶(クォーツ)にある一定の刺激を与えると正確な振動をすることはその前から知られておりました。だがそれを実用化するという段階にはいたっていなかったのです。ですが、ついに日本のセイコーはその実用化、販売に成功したのです。時計業界は一変してしまいます。世界でもいわゆるねじまき式が当たり前だったのですが、この水晶時計がでてからというもの、スイスの時計に携わって来た人達の職が奪われ、多くの人が解雇されました。

 題名にあるパラダイムというのは、今私達が現実的に当たり前と思っている一連の通念のことです。例えば車の燃料はガソリンであるとか、携帯電話でどこにいる人とでも話せるとか、地下に鉄道が通っているとかそういった事です。このこと自体を疑う人はもう誰もいないでしょう。もうすでに当たり前の事実としてそれがある生活をしているからです。ですが、形として現れていない時にその事を信じて、作り上げる人がいるというのも又事実です。電話を発明したグラハムベルが友人に今から発明しようとしているその電話機の話しをしたときに病院にかつぎこまされそうになったという話は有名です。

 これから先どういう物がこの世の中にとって当たり前となるのでしょうか。瞬時にして人間が移動できるテレポテーションシステム、気のエネルギーが主流となる、時間が操れる機械が発明される、宇宙への旅行が海外旅行位の費用で行けるようになる、世界中の人が飢えないですむ食糧のシステムが開発される(これは現時点でも可能だそうです。それは肉食をやめるだけだそうです。家畜を食糧にするために物凄い量の穀物が消費されていて、それを人間に回せばそれでも余るのだそうです)。

 私が書いた5つの項目を見て多分笑った人もいると思います。話しはもどりますが、実は当時のスイスのある研究所では水晶を腕時計に組み込む事に成功していたのだそうです。ですが、スイスの時計業界はこんな物が将来の時計になるはずがないと世界の時計会議に何の恐れもなく出展を許可し、そこにセイコーがとびついたのです。そこに当時のスイスの失敗があったわけです。時計王国としてだれもがそれに変わるものなど無いと絶対的な自信があったのでしょう。

 グラハムベルを笑った友人、水晶(クォーツ)時計に食われたスイス、似たような例はまだ沢山あると思います。これは、完全なパラダイムの中に陥ってしまっている事を意味すると思います。突然全く予期しない所から、今までやって来た技術が何の役にも立たなくなるようなシステムが出来上がるこれをパラダイムシフトというそうです。これを読んである読者の皆さんで、お仕事につかれてある方がいらっしゃいましたら一考の価値があるとおもいます。

 自分にとっては、突拍子もない様なアイデアでも鼻で笑ったり、それを邪魔したりすることが、どれだけ多くの損害につながるかという事もわかります。自分の考えとは全く違う様々な意見を素直に聴く事の大切さを痛感いたします。

皆さんはどうお考えですか。 
                                      


偶然の一致
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年03月号掲載/1999年02月10日発売 )

  昨年の夏、演奏でお世話になった所におはぎが出されてあり、食べたいなと思いながらもそのまま帰ってしまい、帰りついたときにはもうその事はすっかり忘れてしまっていたのですが、夜の12時過ぎてから急に食べたくなり、思い出しては残念がっていました。すると12時30分頃チャイムを鳴らす音が、ピンポーン! すると目の前におはぎを持って立っている女性が、、、

 実はその日小学1年生になる長男を連れてそこにお邪魔したのですが、息子さんの忘れ物では、とサスペンダーと一緒に持ってきてくれたのでした、結局忘れ物は息子の物ではなかったのですが、食べたかったおはぎが向こうからやって来ました。これは、もうほとんど笑い話しにしか過ぎないのですが、大なり小なり似た様な事が起きる事が多々あります。

 最近一番傑作だったのは、ケニーGという方が吹いているデュコフというマウスピースが欲しいなと思っていたんです。2日位して、ソプラノサックスを手放したい人がいるという話しがあって久留米まで行きました。私は2本も必要ありませんから、中古が出たら紹介してくれと言われるお世話になっている方に電話をしたら、たまたま近くを車で通ってあって、彼と一緒にその楽器を見ていましたら、なんとその中にマウスピースが3本も入っているではないですか。

 そしてその中の一つが例のデュコフだったのです。彼はその場で喜んでサックスを買われ、マウスピースは譲ってもらうことになり、紹介してくれた方も喜んでくれてLuckyな朝でした。

 他にも、友人から電話でコンサートのチケットが家族で行く様になりどうしてもあと2枚ほしいのだけどという電話をきったすぐ直後に、チケットを欲しい方を紹介してくださいという電話がはいったりと、面白い程偶然が重なる事があります。

 私が経験している事などほとんど笑い話みたいなことですが、歴史的な意味のある偶然を経験している方々もたくさんいらっしゃいます。そして、なんとそういう意味ある偶然の一致みたいなことを研究した方もいるのですね。スイスの心理学者カールユングはこれを共時性(シンクロシニティー)とよびました。

 ガイヤシンフォニーという映画をご覧になられた方も多いと思うのですが、あれにアイルランド人のエンヤが出演されています。監督の龍村氏は彼女に出演してほしくて、なんども手紙を書いていたのだそうです。ところが返事が来なくてそれでも諦めきれずにいました。とあるパーティーがあってなんとなくそれに行きたくなって参加すると隣に座って居た女性がアイルランド人でエンヤの事をきいてみるとなんと彼女はエンヤの隣の家の人らしく、学年も一緒で小さい頃から一緒に遊んだ仲でその彼女がエンヤに電話を入れてくれました。そして出演OKをもらったのだそうです。

 もう一つ、アブラハム・リンカーンは若い頃、みるからに貧しそうな物売りに出会い汚い何の価値もなさそうな樽を1ドルでかったのだそうです。後になって樽を整理していると古いカンや道具の中に彼がその時とても欲しかった全巻揃った法律の本が入っていたのだそうです。彼はその本のおかげで類まれなる人生を送る事となります。

 もう一つ筑波大学が創立10周年の時に村上先生はそれに合わせヒトレニンという高血圧に関係のある遺伝子情報の全暗号を解読する研究をしていたのだそうです。まだ2割位しか成功していなかったのですが、パスツール研究所とハーバード大学の医学部が、7、8割位成功したというので、視察にパリに行かれたという事です。ところがパスツール研究所の人に、うちはもう8割終ったからサルレニンでもやりなさいとからかわれたそうです。たまたま学会がドイツのハイデルベルグであって村上氏はハイデルベルグの学生街の安酒場で悔しくてビールをあおっていたらしいのですが、そこに遺伝子工学の第一人者である中西先生が入ってきて事情を説明すると、「日本でもめったに会えない貴方と私がこんな所であうのはきっとあなたの研究の応援をしろという事だと思います。」という事になり、筑波大学と京都大学が一緒に研究してそれから何か月後に全解読に成功したそうです。パスツール研究所が成功したのはその直後だったという事です。

 こうなるとただ単に偶然の一致ではすまされないという気がしてきます。
ちょうどここまで書き終えて本紙の編集長である矢次氏から電話がありました。「今回の原稿はいかがでしょうか」「はい偶然の一致です」。



アイディア
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年04月号掲載/1999年03月10日発売 )

  通り過ぎてしまいそうな出来事の中に自分が知りたがっていた答えや、人の何気ない言葉の中に注目に値するアイデアがあったり、人が見向きもしない様な物事の中に重要なヒントがあったりと、自分がいつでも謙虚な生徒でいると、優れた教師は至るところにいる様な気がします。

 現在、発明家として知られている方の自伝に面白い事が書いてありました。彼は、ヘリコプターのセールスマンだったのですが、成績はかんばしくなく、いつ首になってもおかしくない状態だったそうです。ある時何気なく、回転しているヘリコプターのプロペラを見ていたら、まつげの裏にゴミがついたのだそうです。彼はこの事にヒントを得て、一躍業界トップのセールスマンになります。一体何がおこったのでしょうか。とても興味深いですよね。

 当時は林業や広大な面積の農作物へ農薬を散布するのにセスナ機などを使っていたのだそうです。ところがこの方法では葉の表面にしか散布出来ないという問題点がありました。彼はここに目をつけたのです。ヘリコプターでの散布方法に変えればプロペラよってたたき付けられた空気は地面に反射する。この単純な方法によって葉の裏にまで散布が可能になったのです。この発想の柔軟性にはただただ脱帽です。

 又、ハイポニカ農法を考案した野沢重雄氏はたった一本の普通の苗からなんと一万数千個のトマトを実らせました。1985年の科学万博つくばに出品されたものです。一般的には、バイオテクノロジーの成果と思われているみたいですが、実はそうではなく、こういう考えだそうです。

植物が根をはるのに土が邪魔になっているかもしれない、なぜなら自然の土の中では水分はしょっちゅう変化する。それが酸素の供給の邪魔にもなるし、温度の変化もまともに受ける。そういういろいろな制約を除けば光合成の効率をもっと高められるにちがいない。植物は土で育つという基本的概念と全く違う逆発想で、栄養分を含んだ水と太陽の光だけ、いわゆる水耕栽培で驚異的な数のトマトを実らせたというわけです。ここにも発想のちょっとした機転が偉大なる成果を産んだ例を見ることができます。

 私事で恐縮ですが、(といってもこのページは私のページでした。)独立したての頃、私のサックスが聴きたいと言われたにもかかわらず、何度かお断りした事がありました。それは、音響の設備もなく、サックスに必要な伴奏楽器もない、予算の方も何人かで行くには他のメンバーに申し訳ない、それでも私のサックスで喜んでいただけるならと気持ちははやるのですが、完全なるソロで1ステージでももたせる力量もまだ無い、独立したてで赤字を切る余裕もない、涙をのんでお断りしていました。何度かそういう事を繰り返す内に、じゃあ、伴奏は自分でつくればいいじゃないか、音響設備が無いならこちらで持っていけばいいじゃないかという発想に変えたのです。

 昔からピアノを弾くのも好きでアレンジにも興味がありましたから、友達に借金をしてコンピューター一式を購入、いわゆる打ち込みをはじめました。そして、音響設備は友達から中古のミキサーを安く譲ってもらったり、本当に最小限必要な一式をそろえました。いまでは随分グレードアップしましたが、そんなこんなでこれまでやって来れた様な気がします。

 冒頭の素晴らしい話しの後になんかとても偉そうですが、「生徒に準備ができた時、教師があらわれる」という諺があります。私達がいつも謙虚である時、その答えはいたる所にある様な気がします。
それでは皆さん、また来月お会いしましょう。





幸せの青い鳥
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年05月号掲載/1999年04月10日発売 )

  チルチルとミチルは幸せの青い鳥をさがしに、光の精とともに想い出の国、夜の国、幸せの御殿、未来の国等いろいろな国へと旅にでかけます。どの場所にも青い鳥は見つかるのですが、その国を出たとたんに違う色に戻ってしまいます。とうとうみつける事が出来ずに家に帰りつくと、篭にかっていた鳥が青い鳥になっているというお話です。

 幸せは身近な所にあるんだね、というお話を覚えていらっしゃる方も多いと思います。とらえ方一つで私達が目にするもの、体験する事は様々に変化しますが、自分に何が起きるかではなく、それをどうとらえるかが重要だということは、もう多くの皆さんが御存知の事だとおもいます。これに関して、本当に何度も読み返すほど感動的な生き方を紹介してあるものにであいました。もし私が同じ立場にあった時こういう考え方が出来るのだろうかと、その崇高な魂の美しさに涙が出そうな程です。是非皆さんにも読んでもらいたくて、御紹介することにしました。

 
 川崎氏にすむ細井道子さんは、18歳の時に発病しいつかはあるけなくなると診断をうけていたが、自分の人生は自分で切り開きたいと考えて21歳の終り頃に親元を離れ、一人暮らしをはじめます。病弱で義務教育さえ満足に身についていなかったので、就職は非常に難しかったが、杖なしでは歩けない体を引きずって仕事捜しを続けます。そんな時、アメリカ人女性がベビーシッターとしてやとってくれます。ほかにもリボンフラワーを人に教えたり、短期間の仕事を転々としながら、何とか生活をします。

 28歳の時に光熱を出して3日間床についた後、立つことも出来なくなり、車椅子では仕事ももらう事が出来なくなり、収入がなく家賃を滞納して、追い出されてしまい、路上で生き倒れ寸前になって知らない人に助けられた事もある。その出来事によりもう一度生きて見ようと彼女は奮い立ち訓練施設に入った。そこで夫と知合い結婚する。

 夫は両手が不自由だったので、衣服の着脱から食事の世話までして、細井さんは自分を必要としてくれる人がいるという事に満足して幸福に働きます。その時すでに両足が悪かった上に脳梗塞で左手が麻痺してしまいます。夫も状態が悪化して、麻痺が全身に及び、結婚当初は歩く事が出来たのに、もう足首から先がやっと動かせる程度で、二人合わせても細井さんの右手だけが、自由な部分という状態でした。

 夫に片手で服を着せるだけでも何時間もかかってしまいます。そんな時電動車椅子で動いていた夫が「今日は道子が疲れているみたいだから、買い物に行って来てやろうか」といってくれた。その暖かい気持ちに彼女は幸せだと感激します。胸ポケットにお金を入れ、車椅子の後ろに袋をぶら下げ、新しいアジを買って来てくれた。両手が動くうちは、さしみにしたり、たたきにしたり出来たのだが、「道子は片手しか動かせないから、煮るなり焼くなりしていいよ」と夫がやさしく言ってくれた。

 夫から新しい魚を渡された細井さんは「自分はここが不自由だから、あれは出来ない、これは出来ない」と思い込みをしていた事に気がついた。「せっかく新しい魚を買ってきてくれたのだから刺身を作ってみる。できるかどうかわからないけれど」と言ってまな板にアジをのせて祈った。「神様、私どうしてもこの魚を刺身にしたいのです。知恵を与えて下さい」と。三匹の魚を二時間かかって、ようやく3枚におろした。その時「私達はこれからも様々な事で自由を失うかもしれないけれども、どこかが不自由になっても、あれは出来ないこれはできないと思う事だけはやめよう」と約束したのだそうです。

 まもなく夫は呼吸困難で入院、細井さんは車椅子で雨の日も雪の日も病院へ通い付き添い看病を続けた。台風の日など片手でこぐのは大変で、タクシーを止める事も出来ず、交番の巡査にタクシーをとめてもらった事もある。しかし彼女は他人の役にたつ事に幸せをかんじます。夫は自発呼吸では足りなくなって、呼吸器を使わなければならなくなったが、二人で過ごす限られた時間を大切にするために退院。横浜をたって九州、北海道などを旅した。「最後の最後まで私達夫婦は生きたのだ」そう言える様な二人一緒の時間を過ごす事ができ、その行動は各地で波紋をよんで、多くの患者さんが外に出る糸口となった。

 どういう状況でも決してあきらめない、どんな人でも、どこかの誰かが必要としている。そういう事を伝えたいと細井さんは考えている。

「私のような何一つ誇るようなものがないものでも、亡き夫は必要としてくれたし、夫の様に指一本、声一つ自由にならなかった人が私を支えてくれたのですから」
「生きがいとは何か」自己実現への道、小林司著 NHK学芸図書出版転載許可済


自己表現
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年06月号掲載/1999年05月10日発売 )

  私が以前教職についていた時に、心身のバランスを崩してしまった事があって、カウンセリングを受ける中で自分の心が現実にどう反映するか、又自分を取り巻く状況の殆どは、自分の心が作り出しているという事を学ぶ、素晴らしい機会に恵まれました(その時はとてもつらかったのですが)。このエッセイのお話を頂いた時に、心の内面を知るきっかけにでもなればと、そんな思いでいつも書いています。

 自己実現を研究した心理学者マスローは、ニューヨークへ出て先生として仰いだ二人の氏が人間的にもとてもすばらしかったので、自分が先生のどんな点に惹かれているかを分析しました。すると彼ら二人にはあまりにも共通点が多く、この様な共通点を持った一定の型に属する様な人物が他にもいるに違いないと探してみると、他にも次から次へとみつかりました。

 そしてそれはあらゆる種類の個性を持った方達でした。その中には、リンカーン、アインシュタイン、ホイットマン、ベートーベン、フロイト、シュバイツアー、ゲーテ、カザルス、などが入っています。

 自己実現する人の性格として彼らに共通する事をまとめたものです。
1、不安にとらわれないで、物事に熱中する。
2、不安や恐怖があっても自己防衛に陥らない。
3、表面を装わず、自己のありのままを忠実に受け入れる。
4、自分に責任を取る。
5、自分の内部の声に耳を傾けて、他人とは違っている自分に正直になるだけの勇気を持つ。
6、知性を用いて、自分がしたいと思うことをよりよく成し遂げるように努力する。
7、買い求めたり、他人からもらったり、捜し求めても得る事が出来ない真、善、美を求める。
8、自分は何者であり、誰であるかを発見する。そして自分はどこへ行き、自分の使命は何であるかをみいだす。

だそうです。

 ところでその自己実現ですが、確か中学校の時に、保健体育でマスローの5段階欲求階層説を習い、試験に出るというので一夜漬けで覚えた様な記憶がどこかにあったのですが、次にある表を以前見られた方もあると思います。

「資料より」
自己実現欲求(自己達成感)
尊敬欲求 尊敬、承認、支配、顕示、名誉等
愛情欲求 所属、愛情、親和等
安全欲求 恐怖、危険、苦痛からの回避、健康等
生理的欲求 飢え、乾き、排泄、睡眠、性等


 マスローによるとこの自己実現欲求というのは、欲求の中では一番高い位置にあるのですが、あくまでもマスローの説ですので、他にもいろいろな考え方があります。

 話しは少しそれますが、今現在も家庭内にしても民族の紛争にしてもその他のトラブルで根底にある生理的や安全的な欲求がみたされない人達がいるのも悲しい事実です。先ほどの1ー8までの自己実現する人のタイプですが、難しい事の様ですが、よく考えてみるとより自分らしくと言ってある様に思えます。

 偉大な人物にはなれなくても自分らしさは失いたくないですね。



ジャズの誕生
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年07月号掲載/1999年06月10日発売 )

  クリストファーコロンブス(イタリア・1451ー1506)は当時のスペインのイザベラ女王の援助を得て西へ西へと航海しついにアメリカ大陸を発見し、後にヨーロッパから多くの移民がその新天地へと移住してきました。当時アメリカはフランス、イギリスなどの植民地でした。そして主にアフリカなどから多くの黒人が奴隷として連れてこられ、過酷な条件の下にはたらかされていました。(ちなみにアメイジンググレイスという曲がありますが、あの歌詞は黒人奴隷船の船長をしていた人がかいたものです。)

 支配階級はその過酷な労働から目をそらせる為にその心のよりどころとして、彼らに聖書をわたします。やがて奴隷として連れて来られた黒人たちはそれに曲を付けて歌をうたいだします。ブルースの誕生です。

 アメリカ合衆国の建国の父であるジョージワシントンは仕事帰りによったおばの家で食事を呼ばれて帰る渡し舟で、おばの家から逃げ出したヘンリーという黒人奴隷に出会い命の危険をかんじます。お金で買われた黒人奴隷達は逃げ出して見つかってしまうと大変な目に会いますから必死なのです。

 黒人たちの自由になりたいという気持ちはだんだん大きくなって来ます。そして、印紙条例に端を発した独立戦争でついにアメリカはイギリスから独立。やがて、アブラハムリンカーンの提唱する奴隷解放により南北戦争でついに黒人奴隷は解放される事となりました。本題に戻ります。

 黒人奴隷達のブルースそれはその子孫へと受け継がれます。一方でフランスは植民地時代のアメリカにオペラハウスを建てます。そして、フランス人との混血黒人クレオールと呼ばれる方達がいました。彼らは自らフランス文化の継承者としてクラシック音楽を学んでいました。そして、伝統的な和声に根差したハーモニーを学んでおり音楽的に高い知識を持ち、又クラシック音楽で演奏される楽器の技術も修得していました。

 南北戦争で黒人は解放され次第に黒人奴隷の子孫とクレオールは交わり会うようになります。そしてここにブルースとクラシック音楽が融合し遂にジャズが誕生するのです。

 本当に劇的です。即興性、ハーモニー、ブルースの音楽。物凄い歴史をかんじさせます。現在のジャズの前身であるデキシーランドジャズにトランペット、クラリネット、トロンボーンが使われている事もクラシック音楽が影響しているという事がわかると思います。

 初期のジャズのメインの楽器はトランペットでした。ルイアームストロングなどはそのスタープレイヤーです。「聖者が町にやって来る」などは誰しも耳にしたことがあると思います。やがて録音技術も発達してきて、テナーサックスの父、コールマンホーキンスが「身も心も(ボディアンドソウル)」を吹き込んでこれが大ヒットし、それからというものジャズの花形はサックスに移る事となります。

 未だにジャズは物凄い勢いで発展しています。これからジャズを聴いてみたいという人にお勧めの一枚を御紹介いたします。私がとても好きなのは、ソニーロリンズの「サキソフォンコロッサス」です。ジャズへの入口としても最適ですし、何度聴いても飽きが来ません。一度聴いてみて下さい。それでは又来月お会いしましょう。



刻まれる言葉
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年08月号掲載/1999年07月10日発売 )

  特別に意識したわけでもないのに、その言葉に出会った瞬間、心の奥底に深く刻込まれたり、何か事が起きる度に思い出しては、方向性を見つける。そんな言葉が皆さんにもあると思います。

今回はそのいくつかを御紹介いたします。私が一つだけあげるとすれば「努力は常に科学的に」というのがあります。
高校からサックスを吹き始めて約20年位なりますが、ああでもないこうでもないを何度も繰返しました。この言葉により正しいガイドの必要性を感じました。ハート一発ノリ一発の演奏もいいのでしょうが、内面には緻密さや幅広さ正確さをもつ必要があると思っています。


 私のつれあいは、結婚する前は島根県で教職についておりましたが、結婚が決ってから先輩の先生が彼女に贈った、結婚相手との接し方に関する3つの言葉です。
「結婚して子供が生まれるまではお母さんの様に」、「子供が産まれてからは恋人の様に」、「子供が巣立ったら友達の様に」。彼女はこの言葉が刻まれているそうです。


 二人の社会人の息子さんがいらっしゃる私の友人は、彼女が子育てする中で次の言葉をいつも手元においていました。 [アメリカインディアンの言い伝えより]
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします。
敵意に満ちた中で育った子は誰とでも争います。
冷やかしを受けて育った子ははにかみ屋になります。
ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしている様な気持ちを持ちます。
心が寛大な人の中で育った子は我慢強くなります。
励ましを受けて育った子は自信を持ちます。
誉められる中で育った子はいつも感謝する事をしります。
公明正大な中で育った子は正義心をもちます。
思いやりの中で育った子は信仰心を持ちます。
人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つけます。 

本当に素晴らしい成長をしておられます。


 次は小郡にある肢体不自由児通園施設「こぐま学園」の通園の御案内についている文なのですが、5年前にここで演奏でお世話になった時にあまり素晴らしいのでパンフレットを頂いて来ました。大事にスクラップブックに貼っておいたのですが、園長先生に電話したところ彼女もある本から、あまりの素晴らしさに転用しているということでした。ユトナ・マシミラという人の書いた「天国の特別な子ども」というタイトルです。

 会議が開かれました。
地球からはるか遠くで "また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ" 
天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました  
この子は特別な赤ちゃんでたくさんの愛情を必要とするでしょう  
この子の成長はとてもゆっくり見えるかもしれません  
もしかして一人前になれないかもしれません  
そうして この子は下界で会う人々に特に気をつけてもらわなければならないでしょう  
もしかしてこの子は走らず笑わず遊ばないかも知れません  
この子の思うことは誰にもわかってもらえないかも知れません  
何をやっても うまくいかないかもしれません  
そしてこの子は一人前でないといわれるでしょう  
ですからこの子がどこに生まれるか注意深く選ばなければなりません  
この子の生涯が満足すべきものであってほしいのです  
どうぞ神様この子のためにこんな両親をさがしてあげてください  
神様のために特別な任務を ひきうけてくれるような両親を  
その二人はすぐには気がつかないかもしれません  
彼ら二人が自分達に求められている特別な役割を  
けれども 天から授けられたこの子によってますます強い信仰を  
より豊かな愛をいだくようになります  
やがて 二人は自分達に与えられた特別の神の思召しをさとるようになるでしょう  
神からおくられたこの子を育てることによって  
柔和でおだやかな 二人のとうとい授かりものを  
天から授かった たいへん特別な子どもなのです。



楽観主義者
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年09月号掲載/1999年10月10日発売 )

  以前から書きたいと思っていたテーマです。
この言葉の正反対には悲観主義者があります。
皆さんは自分でどちらに入ると思いますか。昔の私は悲観主義の傾向が強かったのですが、殆ど楽観主義者になってしまいました。これにかんしては、どちらもがバランス良く調和されている必要もないと思います。随分楽です。生き方自体が・・・。

 そこにいたったのは自分が好きな事をして生きていっているというのもあるでしょうし、もう一つは、将来の事など誰も予測出来ないと思う様になったからです。将来の事をあれこれ悲惨なシナリオを想像してめげてしまうよりも、今を生きていたほうがはるかに楽しいものです。その為にいくつか私の採用している言葉を御紹介いたします。

「人それぞれの真実」
 対人関係に於て威力を発揮する言葉です。100人いたら100通りの真実があるようです。自分と対立する意見があっても、ああこれはこの人の真実なんだなとおもえば、一切腹もたちません。この言葉には随分たすけられています。

「賢い沈黙」
 トラブルに巻き込まれない言葉です。私達の口は本当に本当に災いの元です。自分はそのつもりはないのに、つい友達の悪口にのってしまってあいずちをうったり、そんな時は相手の話しを十分きいてあげればいいようです。そしてどうでも言いようなつまらないことは言わない、明るい将来の話しをする。そんな風に心がけています。

「1+1=2である」
 何の事かと思われるでしょう。本で読んでこの言葉に出会って、それ以来採用しているのですが、
例えばいく先々で1+1=3であるとみんなに言って行くと、その人が答えは2と気付くまでいろんな人が形を変え、何度も何度も2だぞ2だぞと言って来ることでしょう。無意味なスタディーです。自分の言っていること、やっている事の中に無駄なスタディーはないか自問するようにしています。

「湖面に映る月」
 波一つ無い湖面には鏡の様に月が映し出されます。ザワザワとざわめいていると、物事が正しく映し出されません。時としてやはりざわつきますが、出来るだけ、ありのまま映し出される様に心を静かにしていたいと思っています。

「二兎を追って二兎を得よう!」
 欲張り過ぎをいましめる諺をアレンジした言葉ですが、こんな解釈もあります。世界中のいろんな争いは貧困を信じる概念から起きていると良く耳にします。限りある資源を奪いあうと考える前に新しいエネルギーの開発を信じる。世界中の人が飢えない食糧のシステムを開発する。科学の先端を行き地球に優しい。豊かさを信じるきっかけになりそうな言葉です。


 とまあこんな具合に考え方を楽にしてくれる言葉を自分に採用する事によって、又、違った世界観が広がるようです。そしてトラブルもまた絶好のスタディーのチャンス、そう思うようにしています。

 かつて、ある人から深町さんの話しはお坊さんの話しみたいだとか、宗教家みたいだとかいわれました。この前のエッセイではクリスチャンなの?とかいわれましたが、何故なのか音楽のことか、上にあげた様な事をよく考えています。

100人いたら100通りの真実。私みたいなサキソフォーンプレイヤーがいてもまた面白いとおもいます。楽観主義者です。
                                     


中辺春水害史
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年10月号掲載/1999年11月10日発売 )

  八女郡の南部に位置する立花町。熊本との県境に位置し、キウイやたけのこの有名な産地でもあります。又地名がとても詩的で美しいところです。教職時代に出会った校長先生の中でとりわけ印象深く私がもっとも尊敬していた、中村文二先生は中辺春(なかへばる)の御出身で、今は退職され、年間100本を越す講演活動や行政の指導、又執筆活動など多忙な毎日を過ごされておられます。

 先日、縁があって先生からの依頼を受け地区の公民館で演奏する機会に恵まれました。その打ち合わせの折に素晴らしい話しをお聴きする事ができました。

 1990年の7月2日月曜日、八女郡立花町に、大雨洪水警報が発令されました。家屋内に浸水が始まり、川は増水し、道路は冠水、橋は寸断され、短時間の間に目を疑う様な光景が広がったのだそうです。この大変な状況の中で、水の確保、消毒班の結成、炊出し班の結成、いかにして協力しあい、食事を確保し家の復旧にあたったかが、この水害史に記されています。そして、地区の全住民の方達のその時の様子が克明に綴られています。

 この水害史は新聞でも話題になり、島原の普賢岳の災害、北海道での津波の時にも重要な資料として、活用されたのだそうです。その中から一部を紹介したいと思います。

 当時小学校一年生だった中村てつや君からはじまります。
「ぼくの新しい机が、半分より上まで、どろ水に、つかったので、かなしかったです。」

3年生中村きよみさん。
「私が、かわいがっていたうさぎが大水に流されてしまったので、かわいそうで、かなしくてたまりませんでした。」

中村智子さん。
「私は、学校に行っていたので、家の事はよくわかりませんでしたが、学校の窓からずっとみていました。一日の夜ぐらいからずっと降っていて、朝になると川の水がギリギリのところまで上がって来ていて、学校が休みになるんじゃないかと内心喜んでいました。でもそれ以上川の水があがるとは思ってもいませんでした。学校から見る景色はもう別世界でした。まるで海の様で、水にほとんどつかっている家も見えました。みんなすごいと言いながら、興奮しているようにみえました。雨はどんどん降って、水かさは、増していきました。車が浮いているのが見えたり、水がひいてくると、家の中から水が出てくる家もありました。もうそれは、すごかったです。こうなると、家の方が、心配になりました。ずいぶん水がひいてきたころ、集団下校になりました。帰っていくと、本当にすごかったんだと、思いました。橋は折れて、アスファルトは紙のように、ペロンとはがれているようでした。家につくのがやっとでした。家についたら、近所の人たちがたくさん来ていて、家の中をふいていました。うちにも水がはいっていたのでした。うちは近所の人たちが、はやくからきてくれていたのでたすかったのだ、といっていました。どこも大変そうで・・・。本当にすごかったです。でもこんなことは一生に一度ぐらいでもうたくさんです。」

以下抜粋で御紹介いたします。
「水も食糧もなく、婦人会の方々から、いっぱい食事をつくっていただきました。本当に感謝しております。」
「7月3日中辺春では、床家浸水に遭われた家に地区全員が手分けして、かせいにでました。各自米やつけもの、梅干しらっきょうなどとりあえず、家にあるものを持ちより、にぎり飯を200食分とジャガ万十を作り、全員の方達に食べてもらうための炊出しをしました。」

尚、この水害史は各図書館に寄贈してあるそうです。是非一度お読みになられて下さい。
                                                    



潜在意識
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年11月号掲載/1999年10月10日発売 )

  皆さんは意識を大きく分けると顕在意識と潜在意識にの二つがあるという事を良く御存知の事と思います。顕在意識はいわゆる表層意識で、自分で確認出来る意識です。明日は楽しいデートでウキウキしたり、いやな上司と会わなければならないで気が滅入ったりそんな意識の事です。自分で確認出来る意識と思われたらいいと思います。逆に潜在意識とは表に現れない意識の事で、心の奥底にしまってあるように見えて実はこれが凄く影響しています。呼吸をするとか、心臓が動き続けるとか自然にまばたきをするとか、そんな無意識の身体的機能もこの潜在意識の中にふくまれています。

 潜在意識は意識の及ばない、生きていくのに必要な体の機能の維持ばかりでなく、かつて持った事のある考えの全て、信念も保有しています。そして、ここからが大事なのですが、潜在意識はそうした全てを用いて性格、人格、生活の全てを築くのだそうです。

 話しは変わりますが、人間の能は約140億個のニューロンという脳細胞から出来ているらしいのですが、殆どの人は3%しか使っていないのだそうです。これは、地球表面に存在する淡水と地下にある淡水の比率と同じです。97%という膨大な量の淡水は地下にあるのですね。相対性理論を発表したアルバートアインシュタインクラスの人物で5%の使用といいますので、いかに私達は脳をつかっていないかという事がわかります。

 余談ですが、私はいわゆるお勉強が苦手な方で中学校の水準テストでは、0点をとった事もあります。今となっては笑い話ですが、真剣に落ち込んでしまいました。

 ちなみに脳の使用率が何でわかるかといいますと、ニューロンには、ニューロン同士結びつけれる様にいわば手みたいなものをそれぞれ10個から3万個持っているのだそうです。その手同士の結ばれている所をシナプス接合とといって、その接合の状態を電気的反応でみればわかるのだそうです。

 話しは又もどりますが、先程の事から考えますと潜在意識に刻印されていることがその人の現実となって反映する。潜在意識は現実生産工場といっても過言ではないのでしょうか。かつて持った事のある考えの全て、信念も保有するということですから、普段の思考がいかに大事かという事ですね。

 それでは、その潜在意識に自分にとって最高の理想像をインプットすれば良いのですが、これについての方法はいろいろな形で実践されています。その方法の一つは、個人的なスローガン、「アファーメーション」を繰返し繰返し心の中で描いたり、口にする事です。そうして潜在意識にインプットしていきます。潜在意識にインプットされたアファーメーションは信念となり、やがて自分の行動を支配します。そしてその現実に向かって自分自信が行動する様になる。そういう仕組です。興味がある方は試してみる価値が多いにあります。97%も残っている私達の脳の事からするとそれはもしかするとさほど難しくない事かもしれません。それではまた12月号でお会いしましょう。




ピープルエリアのプロミュージシャン
深町宏のHEART OF MINE
( タウン情報誌People1999年12月号掲載/1999年11月10日発売 )

  もう10年も前の話しですが、先にプロ入りした友人との会話の中で「上手なアマチュアはたくさんいるけれど、それでやって行こうという勇気と自信は無い様に思う」という言葉がありました。。教職を続ける事にたいして、気持ちが揺らいでいた私には、結構強烈にひびいたのですが、そのことばを聴けてよかったなと思います。

 実際とびこんで見ると、まず人と出会う数がはんぱじゃないです。それから、自分の好きな事を職業としてますから、大きい本番などプレッシャーはあっても精神的なストレスがほとんどない。自分の演奏と人格的なものにダイレクトに反応がありますから、いろんな意味で自分磨きをして、失敗を繰返しながらも又、一歩先へ行こうとする。そんな環境に身をおいてることがいいななんて思ったりします。

 そこで、今回は私と同じ位置にいる素敵な友人達を紹介いたします。アイウエオ順です。

石橋序佳   いしばしつよし   
 音楽製作 キーボーディスト 久留米市
TVやラジオ等、数多くの音楽をてがけています。最近の作品では、ラーメンの龍龍軒、ばってん荒川出演のAC公共広告機構、チロル冬チョコ等。全国版CMも多数。キーボード奏者としても活躍。

田口悌治   たぐちていじ    
 ジャズギタリスト      大木町(現在大橋)
高校時代の親友です。97年には、ニューヨークに滞在しライブ活動を行い、つい先頃ニューヨークで活躍中のピアニストを迎えCDを製作。注文はFAXで、住所氏名を明記の上092ー565ー3858まで。

ダニー馬場  ダニーばば     
 ソウル、ゴスペルシンガー  八女市
FM福岡ヤメリカンピープルが超人気。98年福岡ドーム、ダイエー戦で君が代の熱唱。大阪読売テレビのソウルイベントでは九州からただ一人出演。若田部投手のブライダル音楽プロデュースなど。

西田麻美   にしだまみ     
 ジャズボーカリスト     久留米市
昭和音楽大学をトップで卒業。昨年バークリー音楽院のスカラシップオーディションに合格。特別奨学生として現在留学中。音楽院内でのライブやセッションで腕を磨いているそうです。

野田かつひこ のだかつひこ    
 シンガーソングライター   三瀦郡
社会福祉授産施設からプロの世界へ、福岡吉本では異色の音楽部門より「よかやんね」でCDデビュー現在、「筑後川」を絶賛発売中。中国上海松江でのコンサートや、ラジオのパーソナリティなど。

濱田治    はまだおさむ    
 クラシックトロンボーン   八女郡(現在春日市)
武蔵野音楽大学からフランスへ留学、フランス仕込みの洗練された演奏家。九州交響楽団との共演や、リーダーを務めるキャリオンブラスアンサンブルなどで活躍中。

藤島聖子   ふじしまきよこ   
 クラシックフルート     八女郡
国立音楽大学を出て、ディプロマコースへ進み、卒業と同時に帰郷。アイレフホールでのリサイタルや、ソロ、カルテット、フルートオーケストラ、学校の音楽鑑賞教室等で活躍中。

村上勝敏   むらかみかつとし  
 エレクトリックベース    大牟田市
今年の4月にプロ入り、ジャンルを問わない柔軟なスタイルで、私をはじめ、ダニー馬場氏や、野田かつひこ氏のサポートメンバーとしても活躍。レコーディングや、ライブで超期待のベーシスト。                       



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